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​ごあいさつ

ごあいさつ

 県道の拡張に伴い、長年住んだ家をギャラリーとしてご利用いただけるように、移設・改築しました。

 美術館や街中の画廊とは異なった趣での作人展示をお楽しみいただければ幸いです。

 本館を「一隅庵」と名づけました。その由来は下に概説します。

 ここ本郷町の一隅で、心のこもった明るく輝くそれぞれの作品をご堪能ください。

 

 看板や書は富山市大沢野町在住の若林舟城先生に揮毫していただきました。

 大正八年生まれの先生は、今もなお児童・生徒への指導、また書家として活躍しておられます。

 先生の「雄動かつ禅的気風みなぎる書」(宮崎重美氏)は、本館の宝です。

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「一隅庵」の由来

​「一隅庵」の由来​

 平安時代、正式な僧侶を養成するには、奈良仏教からの制度に従わなければなりませんでした。ところが天台宗延暦寺の開祖『伝教大師最澄』は、自分の理想実現のため、比叡山に大乗戒壇を設立し人材を養成するため、『山家学生式』を著し、恒武天皇に請願しました(818年)。

 その中で伝教大師最澄は、本当に人間にとって大切なものは「財宝」より「人材」であることを強く訴えました。その際、中国春秋時代の国王の宝自慢の話を要約し、「径寸十枚、是れ国宝に非ず。一隅を照らす、これ則ち国宝なり(*1)」と記しました。

*1:お金や財宝は国の宝ではなく、自分自身が置かれたその場所[一遇]で、精一杯努力し明るい光り輝くことのでいる人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝である

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​「忘己利他」について

「忘己利他」について

 山家学生式の後段には、「悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり(*2 )」とも記されています。

*2:嫌なことでも自分で引き受け、よいことは他の人に分かち与える。自分をひとまずおいて、まず他の人たちのために働くことこそ、本当の慈悲なのである

 宗教学者、杉谷義純によると、後段の、「己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」という言葉こそ、「一隅を照らす」の基本的な、そして具体的な解釈であるといい、次のように解説しています。

 「慈悲の慈とは、他人の幸福を自分の幸福のごとく喜べる心、悲とは他人の不幸を自分の不幸として分かちあい、共に悲しむことができる心をいう。」

 「『一隅を照らすこころ』の出発点は、まず小さな願を発すること。小さな誓い一つでもよいので、自分を忘れているか、本当に一隅を照らすつもりでいるか、その二つがこめられていれば、大願とは差がない。それが単なる願いではなく、誓願としてこつこつと実践することが肝要である。」

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​「照于一隅」と宮沢賢治

「照于一隅」と宮沢賢治

 『法華経』に生きた宮沢賢治は「己を忘れる」ことを「自分を勘定に入れず」と表現し、また、「すべての人が幸せにならない限り、わたしの幸せもないのだ」といっています。

 賢治の希いと相通ずるものがあるように思われます。

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