
「一隅庵」の由来
平安時代、正式な僧侶を養成するには、奈良仏教からの制度に従わなければなりませんでした。ところが天台宗延暦寺の開祖『伝教大師最澄』は、自分の理想実現のため、比叡山に大乗戒壇を設立し人材を養成するため、『山家学生式』を著し、恒武天皇に請願しました(818年)。
その中で伝教大師最澄は、本当に人間にとって大切なものは「財宝」より「人材」であることを強く訴えました。その際、中国春秋時代の国王の宝自慢の話を要約し、「径寸十枚、是れ国宝に非ず。一隅を照らす、これ則ち国宝なり(*1)」と記しました。
*1:お金や財宝は国の宝ではなく、自分自身が置かれたその場所[一遇]で、精一杯努力し明るい光り輝くことのでいる人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝である
「忘己利他」について
山家学生式の後段には、「悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり(*2 )」とも記されています。
*2:嫌なことでも自分で引き受け、よいことは他の人に分かち与える。自分をひとまずおいて、まず他の人たちのために働くことこそ、本当の慈悲なのである
宗教学者、杉谷義純によると、後段の、「己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」という言葉こそ、「一隅を照らす」の基本的な、そして具体的な解釈であるといい、次のように解説しています。
「慈悲の慈とは、他人の幸福を自分の幸福のごとく喜べる心、悲とは他人の不幸を自分の不幸として分かちあい、共に悲しむことができる心をいう。」
「『一隅を照らすこころ』の出発点は、まず小さな願を発すること。小さな誓い一つでもよいので、自分を忘れているか、本当に一隅を照らすつもりでいるか、その二つがこめられていれば、大願とは差がない。それが単なる願いではなく、誓願としてこつこつと実践することが肝要である。」
